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【甲陽園】甲陽園の開発 甲陽公園(大正7年5月)

更新日:2022年11月24日

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甲陽園開発のはじまり

 明治末ごろから、大阪や神戸など都市部の商人、知識人の間で自然豊かな環境で生活する「郊外生活」というライフスタイルが築かれます。その機運に呼応し、香櫨園、苦楽園、甲陽園、甲子園等の開発が進められました。
1 播半の絵はがきに綴じこまれた鳥瞰図

2-1 大正7年 甲陽土地株式会社の発足

 大正7年5月7日大阪市北区の大阪ホテルに甲陽土地組合は発足します。社長は西尾謙吉、常務取締役に本庄京三郎が就任し、本庄氏が甲陽園開発を手掛けました。

 甲陽土地組合から甲陽土地株式会社となり、まず土地取得から始められます。その規模は大正7年ごろの「甲陽土地株式会社経営地地形図」によると、現在の“甲陽園”と冠する町すべてが含まれています。



2-2 大正7年 甲陽土地株式会社の発足

 目神山町に別荘、御手洗川より北に小学校・中学校、西山町に高等学校・女子小学校、新甲陽町には市場を建設し、大池周辺は遊園地としその他を住宅地に設定していました。



3 甲陽公園西入口・香櫨園道

 開発でまず始められたのは道路の整備でした。甲陽公園が開園した当初、甲陽線はまだ開設されておらず、阪神香櫨園駅から阪急夙川駅を経由して乗合自動車が走っていました。


 そして、大池周辺に温泉、旅館、社交場、劇場、活動写真上映館、植物園、遊園地など、総額500万円をかけて整備しました。大人も子どもも楽しめ、大変なにぎわいを見せました。
 このにぎわいを受け、大正13年3月から、阪急電鉄は夙川駅から電車を通す工事に取り掛かり、10月1日に開通させました。甲陽公園はより便利になり、訪れる人も多くなります。

少女歌劇の甲陽劇場

4 甲陽公園西門付近(旧池田一郎氏資料)

 阪急甲陽園駅のすぐ北に甲陽公園の西門(三角屋根の門)がありました。その奥の建物が白亜の殿堂といわれた「甲陽劇場」です。



5 甲陽劇場の外観(旧池田一郎氏資料)

 入って右(東)へ行けば少女歌舞劇、左(西)へ行けば活動写真(無声映画)が少女歌舞劇の合間に上映されます。お客は劇場内を行ったり来たりしたそうです。


6 少女歌舞劇のひとこま(旧池田一郎氏資料)

 宝塚にはすでに少女歌劇団があり、その知名度には及ばないながら、童話歌劇、童話舞踊劇、新史歌劇を公演します。脚本は小生夢坊(こいけむぼう・小生第四郎)氏が手がけたようです。


7 劇場内の食堂(旧池田一郎氏資料)

 劇場内の北側にあり、和洋中のメニューの中で、1杯25銭の五目中華そばに人気がありました。


優雅な乗り物 甲陽遊園地

8 甲陽遊園地遠望(旧池田一郎氏資料)

 甲陽劇場を通り過ぎて斜面地を登ったところが遊園地です。左下手前には甲陽劇場の食堂へ通じるつり橋もあります。左端の建物は仮設演芸館で甲陽劇場ができるまでは、日曜日などにはエンタツ・アチャコ等当時の有名人の演芸があったと伝えられます。



9 シーソー(旧池田一郎氏資料)

 大人一人子ども二人以上はお断りと書いてあります。今のシーソーと違い回転しながら上下に動くのでしょうか。右はしに「ブランコ」、左奥に写るベンチのようなものは「家族ブランコ」、となりに藤棚が見えます。



10 サークリング(旧池田一郎氏資料)

 定員50人ほどのサークリング。今でいう回転木馬に似ているようです。お客が乗るとタラップをはずして、電動で波型に上下しながら回転しました。子どもとともに大人も楽しんでいる様子がうかがえます。



11 大つり橋(旧池田一郎氏資料)

 東門を入ってすぐの場所にあった大つり橋。長さは100メートルくらいあり、崖の上から人工の滝が流れていました。手前の建物はポンプ室。ここから崖上へ水を上げ、循環させました。



12 大すべり台(旧池田一郎氏資料)

 土地の勾配を利用した長さ約50メートルの大すべり台。20メートルほどのすべり台も2~3ヶ所ありました。上に行くにはリフトをつかいました。


軒を連ねた高級旅館・料理屋

13 甲陽園駅前から北方向 甲陽園通り(旧池田一郎氏資料)
 甲陽園駅の改札を出て直ぐ右側に甲陽公園の西門があり、写真は改札口北側角にあった「甲陽百貨店」を写しています。その左、甲陽園通りを北へ向かう沿道に料理屋「花月旅館」、「つたや旅館」、土産物として人気があった乙女ゼリーを商った乙女茶屋が見えます。この道をさらに上がっていくとカルバス温泉(写真左の白い煙突)、甲陽土地株式会社経営の旅館「甲陽館」がありました。
 公園内の大師通に旅館を営む本店、甲陽温泉前に海川魚料理やすき焼きの支店とみやげ物店の3店舗を構えた「喜楽」ですが、女性たちの間ではお汁粉が人気だったといいます。

下の写真は甲陽公園の東門付近を写しています。門を入ってすぐ左の二階屋は旅館「菊水」です。菊水の茶碗蒸し、○長(まるちょう)のお寿司は人気があったといいます。
14 甲陽公園東門付近(旧池田一郎氏資料)

15 子孫ヶ池畔からつるやを望む

 ミシュランガイドで三ツ星を獲得した日本料理「子孫」をご存知の方も多いでしょう。この当主の祖父が経営していた「子孫旅館」は子孫ヶ池の南側にあり、対岸に料理旅館つるや支店がありました。池では貸しボートや噴水があり、つるやの南側には、甲陽公園で唯一の無料で遊べる公園がありました。


 播半は平成17年まで甲陽園の地にあった高級料亭です。大正年間に当主がこの地に別荘を建てたのが始まりです。料亭として開業したのは昭和に入ってからです。

16 甲陽瓢箪庵 はり半支店はがき

 敷地内にある自然遺産とまで称された渓谷、美しい庭園と日本の四季を感じさせる懐石料理が多くの財界人、文化人に愛され、昭和天皇・皇后も訪れています。


 大いににぎわいを見せた甲陽公園ですが、昭和に入り経済事情が悪化し、次第に客足は遠のいたようです。昭和12年の地図では遊園地、植物園、甲陽劇場、甲陽倶楽部は残っていますが、旅館甲陽館とカルバス温泉は姿を消したようです。
 時を経て、遊園地のあとにはマンションや小学校となりました。リゾート地ではないものの、自然環境に恵まれた落ち着いた街並みは変わらずに残っています。この街並みは後世にも引き継がれていくことでしょう。

昭和12年目神山周辺図

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<参考文献>

『甲陽公園経営の方針』

『甲陽土地株式会社第1回営業報告書』

『甲陽土地株式会社経営地地形図』

『演芸映画企業通信』(平成1年6月11日)

『甲陽』(大正13年6月1日)

『甲陽公園アルバム解説』

『土地宝典』

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